よく聞くけど実感としてどうもピンとこないものに「デジタル思考とアナログ思考」というものがある。
ピンとこないということが、すでに自分がアナログ思考をしている証左のような気もするのだが、そのあたりはスルーということで(何 ι
つーわけで本日は「デジタル思考とアナログ思考」をキーワードにして、その差異を文章化している人たちを探してみようと思います。
リーダーの暗示学129――いろいろな思考法に飛びつくhopperに - 佐藤直曉のリーダー研究所
いやぁ、もう、ぐうの音も出ません(^^; ……って、分かっちゃいるんだけど、飛びついてしまうのが人間の悲しい性 ι
補足……になるのかな、ぐうの音も出ないなりに、自分で考えたことを一言(悪あがきだな~>_<;)
新しい(と称されたり目されたりしている)発想に対して、飛びつくのは別にかまわないと思うんですよ。でも飛びついたあとで、ただそれを真似するんじゃなくて、その発想がどこから来ているのかという源流を知ることが大事なんじゃないかと。
本質をつかめるかどうかってことなんですけど。それができて初めて応用が利くんだと思います。
でもって文章後半に書かれた「好きこそ物の上手なれ」に関しては補足することは何もありませんでした。本当に好きなことじゃないとなかなか続きませんよ……いや、本当に。無理して周囲に流されてやってみたところで、苦痛が押し寄せてきてダメになるだけですから。
そういう意味では「努力するな」は名言だと思います。
ひびにうつりゆくよしなしごと: アナログとデジタルそうそう、今日はこういうご意見を拾い出したかったんですよ(喜)
茅須、冒頭に「デジタル思考とアナログ思考」という風に分けて考えることがピンとこない旨を書きましたが、人間だって一面ではデジタルだし一面ではアナログだし、逆にたとえばパソコンだって一面ではデジタルだけど一面ではとてもアナログなんですよね。
そういう相互作用みたいなものを無視して「デジタルとアナログ」という風に分けてしまうことに違和感を感じていたので、このエントリをコメント欄まで読み込んでみて、いろいろと感じることがありました。
でもって自分個人としては「デジタル・アナログ全部ひっくるめて成り立っている」んだなぁという思いを強くしました。
玉石混合とか清濁併せ呑むとか、そういう感じ? いや、これだとちょっと外れるだろうか(^^;
だからこそ「アナログをあえてデジタルで表現してみる」もしくは逆に「デジタルをアナログで表現してみる」のが大事なような気がします。
2001年 五月の言葉「アナログとデジタル」うおー、集大成みたいな話がつづられてる。
右脳の左脳の役割って、結局こういうことじゃないだろうか。デジタルとアナログを局面によって使い分け、あるいは統合する。右脳だけでも左脳だけでもダメ。どちらも必要で、更にそれらを統合した「一つの脳」として活用することが大事、と。
間にはデジタル思考と、アナログ思考と両方が必要だが、その使い分けを間違ってはいけないということが先ずその前提としてある。そして、その両者をキチッとバランスをとることが人間として生きていくことで最も大切なことである。
個人的にはこれが一番ガツンときたかな。タイミングの妙ってやつですよね。それをうまくつかむためにも、デジタルとアナログを自分の中で普段から上手に融合させてなくちゃならないってことで。
これだけネットワークが普及して、ケータイも含めれば生活の中に緩やかに、でも確実に多くの世代に入り込んできている以上、デジタルとアナログの呪縛からは人はもう逃げられないような気もしてきました。
だからこそ、デジタルでも、アナログでも、やっぱり自分の頭を使って考えなくちゃいけないってことですね。テレビを流し見しながらぼーっとして、思考放棄できる時代は終わりつつあるってことかもしれません。


