- 2007 年 10 月 12 日 4:33 AM
- [ち]
自分のことだったら、上手くいってもいかなくても、自己責任の上で納得がいくわけですが、他人のことになるとそういうわけにもいきませんよねぇ。
へヴィーな問題預けられたら、やっぱ躊躇しちゃうわけですよ。
そんなわけで本日のキーワードは「躊躇する」とし、どんな事柄を前にして躊躇してしまった人たちがいたのかを探し出してみようかと思います。
あひゃあ(^^; この人は自分のことを書いてるだけなんだけど、読んでる茅須もちょっと痛いところを突かれたかも(苦笑)
喋る機関銃の異名を持ってますからね、どーでもいいことはこれでもかってほど延々と喋り続ける自信ある(爆)んだけど、いざ、核心に触れることになると口を貝のように閉ざしちゃう傾向があるんだよねぇ……( = =) トオイメ
大体さ、親しい人と口げんかしたときの締めのセリフが「……ええけどな、別に」で、そのセリフを口にした時って絶対に納得してないという、この捻くれた性格は駄目だよねえ(自爆)
夫婦仲が拗れたのもこの辺が原因かもな(爆笑) いや、多分そうなんだろう。やっぱり、思ったことはちゃんと口にして伝えなくちゃ、だよね。それがいいことであれ悪いことであれ、ちゃんと伝えないと余計な沈殿物が自分の中に溜まっていくんだろうな。
身に染みました。はい。
写真を撮るのがイコール自分との対話っていうのは、なんとなくわかるなぁ。
写真ってすごく不思議で、撮った人がでますよね。同じ風景をとっても、同じ角度からとっても、一人一人出来具合がまったく違うわけで。自分が表現されてしまうのだから、そりゃ躊躇もしますよね。
などと書いていると茅須も写真を撮るのが好きなのかと思われてしまうかもしれませんが、写真はもっぱら見るの専門です(^^; 自分は絵を描くのが好きなので、写真もきっとそういうものなんだろうな、と想像してみただけです。
絵はね、怖いよね。たとえば一人のモデルを囲んでいっせいに絵を描いたとしても、出来上がったらまったく違うものになるもんね。
あーでも文章もそうか。結局は何かを表現しようとするとき、同じ対象をモチーフに同じように描いたり撮ったりしたとしても、そこには必ず自分がこめられてしまう、その事実にはやはり躊躇せずにはいられないし、そういった躊躇する気持ち、言い換えれば対象に対する畏怖の心を知らずには、逆にいいものは表現できないのではないか、そんな気がしました。
なんというか。『事実は小説より奇なり』って、こういうことをいうんじゃないか?!Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン
えーとね、長いです。長いけど、思わず引き込まれてしまいました。あれですね、自分は根っからのインドア派で、バックパック一つだけで旅をする人の気分が分からない一方、自分とは正反対のそういう趣味を持った友人がいることで、その世界が容易に想像ついたのが、引き込まれてしまった要因かと。
女性バックパッカーであった友人は、そりゃもう繊細さと大胆さを併せ持つツワモノでした。数々の修羅場を潜り抜けてきたようです。修羅場とともに、こうして机にかじりついている私には一生体験できないであろう、すばらしい経験もたくさん積んで。
で、この人。この体験もふつうじゃできないよねぇ(^^; この話でこういう展開になるか!とネタばれ(?)したあたりで思わず「ええっ?!」と本当に声が出ちゃいましたよ。この体験はバックパッカーだから云々じゃないかもしれないけど。だからこそ逆にこの展開は読めなかったなぁ。
きっと、ここで言及されているTさんは、人間的に本当にすばらしい人だったんでしょうね。それだけに余計に困っちゃったんでしょうね。
そう考えると最後の一文がちょっと悲しいかも。せっかく旅先で出会ったすばらしい人だったんだから、属性抜きで、いい人として思い出に残してほしいなぁ。
……なんて簡単に言えるのは、しょせん他人だからだと言われれば、それまでなんですけどね……( = =) トオイメ
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