面白いネタみたいなエピソードを体験して、それをネタにここのエントリ一本上げよう!と思っても、肝心のキーワードに結びつかないことがあります......何のことかといいますと、「状況を一言で説明できるスキルがない」状態のことです。
こういう時って、ほんと、もどかしいです(^^;
そんなわけで本日は「もどかしい」をキーワードに、どんな状態や状況で人がもどかしさを感じるのかを、探していこうかと思います。
円山貫's EYE on high-tech development: 目標管理はもどかしい:ベストエフォート目標に出会う
うまい喩えだなぁ(感心) エアコンの温度設定から、目標達成のためのベストエフォートについて、こんなに分かりやすく説明できるものなんですねぇ。
これを読んでたら、いかに目先の利益にとらわれる人たちが多いのか、ってことを考えちゃいました。エアコンの温度設定とて、その時の目先の利益なんだな、と。
この喩え方は本当に秀逸で、とても一言にはまとめられませんので、ぜひ、元エントリにて御確認ください。
もどかしい - What Serendipity comes ?
あー、この感覚、自分にもあるなぁ。
なんか、分かりかけてるような気がするのにーって、じたばたと暴れだしたくなる感覚です。いや、本当に暴れやしないけど(^^;
自分の場合、対処方法は二通り。外部情報を完全にシャットアウトして、そのもやもやについてとことん考えるか、あるいはそのことは一旦忘れて全く違う作業をするか。もちろん、そのどちらの対処も取れないときもあるんだけど(^^; そういうときは調子が悪いんだから、まぁ諦めるしかありませんよね(>_<;)
どちらにせよ、けっこう極端から極端に走ってますねぇ、茅須という人間はorz
踊る阿呆を、観る阿呆。: これって、かなりもどかしい。その本に書かれている知識が欲しい。だからその本を開く。ふだんから読書には慣れ親しんでいる。別に本嫌いというわけじゃない。それなのに、読み始めて数行たたずに眠ってしまう。
つまり、これらの葛藤についてかかれたエントリです。この葛藤は、読書家だからこそ、感じるものなんじゃないでしょうか。ふだんあまり本を読みなれていない人は、読みたいのに読めないーーー、なんて思わないものですし。
コメント欄も面白いです。悪文だから読めないあなたが悪いわけじゃない、という擁護とともに、読みやすく書き直された引用部分に思わず感心。元の書籍もきっとこう書こうと思えば書けたはずなのに、こんな風に噛み砕いた文章で書いてはいけないという制約がついていたとしか思えないわけです。
これってエラいセンセーの御意向? それとも出版社の差し金? ⇒穿ちすぎ ι
まぁたしかに、悪文って存在しますよね。内容は充実しているから出版されてるけど、読みにくくて仕方のない本って、やっぱ、ありますよ。もちろん相性もあるんでしょうけど。
ただ、相性の有無があるから、文章は面白いとも思うわけです。自分がダメだなーと思う文章があるから、好きな文章もあるわけですから。
表参道の小さな広告屋から:年号の甘くもどかしい記憶。 - livedoor Blog(ブログ)あああ、切実ぅーーーつД`)・゚・。・゚゚・*:.。
そうなのよ、そうなのよ。青春時代のヒット曲(というモノイイがすでに古い!自爆っ!)を聞きながらね、その曲が発表された年代とか確認して、愕然とする今日この頃なのよ......( = =) トオイメ ゑ、すでに○○年前ですか?!みたいなorz
そういやこの曲がヒットしてた頃って自分は○○歳で、だからそれは△△年前なんだよな......と改めて自分の道のりを振り返り、あまりの年月の早さにも愕然とする。思い出を辿ると、最近、愕然とすることばかりですよ(さめざめ)
というわけで、年月の速さについて書かれているエントリなわけですが、後ろ向きで悲観的モノではありません。逆に「いつかまた」と口にしていたところで、これだけの速さで年月は過ぎ去り、口約束のいつかまた、は実現していないわけだから、だったら「いつか」なんてやめて、いまやろう、という、つまり、とても前向きなメッセージで締めくくられているのですよ。
ほんと、この歳になるとよく分かる。「いつか」と言っているものの「いつか」は、やってこない。だから、今しかないんですね。
Kaoriのマーケティングレビュー: SMAPの"Triangle"と、もどかしい気持ち一時物議を醸し出した「ホワイトバンド」についての考察です。2005年10月のエントリでした。
このエントリ拾ったのがいい機会なんで、前から思っていたことをつらつらと。ホワイトバンドを買って、ホワイトバンドを身につけている人に、素朴な疑問があるんですよ。ブームはもう終わってるよ、と言われるかもしれませんが、この手の活動がブームで終わるのも変だと思うし。
以下、かなりの長文です。この下にピックアップ記事はありません。そして、真面目な話をしています。長文ウザイという人は、そのままこのブログを閉じてください。あと、ホワイトバンドってなんだ?という人も、ボランティアとかそういうのに興味ない人も、読む必要ないと思います。
ホワイトバンドは直接的な募金活動とは違って、意思の表明としての役割でしかありませんよね。ファッションとして身に着けている、って人もいるかもしれないけど、それでもホワイトバンドを身につけている以上、ホワイトバンドが何たるかを知っている人から見たら、あの人は「世界の貧しさをほっとけないという気持ちを持っている人なんだな」と思われるわけじゃないですか。
で、他の何らかの活動に参加してます?募金なり、ボランティアなり、知識を提供するのでもいい。とにかく、「世界の貧しさをほっとけない」気持ちを、行動に移しているんでしょうか。
もし直接寄付をしたいなら、いくらでも他に方法はあるし、お金を出さない貢献もある。ボランティアでなくても、仕事で役に立つということもある。それをかなえるための情報はいくらでも流れている。ホワイトバンドを知る情報収集力があるのなら、それ以外の情報もいくらでも拾える。
そんなわけで、このエントリを読んで、この部分にいたく共感したんですよ。つまり、ホワイトバンドの活動に賛同する気がある、という、その気持ちを、行動に移しているんだろうか、と。ホワイトバンドを知る・購入するという行動は起こせるのに、その先の行動が起こせないというのは、それはそれで変じゃないですか。
ホワイトバンドを身につけて、支援する気持ちを表明していることそのものが大事なんだって思われる人もいるかもしれませんが、それって、ものすごく自己満足的で気持ちいい状態ですよね。私は世界の貧しさをほっとけない心の広い人間よ、みたいな。
前から気になっていたので、長々と書いてみました。別にホワイトバンドそのものに反対しているわけではありませんよ。意思の表明じたいも大事なことですから。たとえば臓器移植カードを持つ、という、私は死後、臓器移植を希望しますという意思の表明一つ考えても、他者から分かるように(たとえふだんは隠されていたとしても、きっかけがあれば意思の表明を簡素化できるという意味で)自分のポリシーや考え方、生き方を表明することは大切なことだと思いますし。やや例が大袈裟すぎましたか。
茅須ですか? ホワイトバンドは身につけてません。でも、募金箱見たら募金せずにはいられません。ユニセフにも毎月、小額ですが、寄付しています。これはまぁ、最初は巷にあふれる多くの自己啓発書の影響だったんです(苦笑)が、習慣というのは怖いですよ。最初は自己啓発書に乗せられて、だったのが、続けていると、それをしないとどうも落ち着かなくなりますから。偽善? けっこうじゃないですか。しない善よりする偽善、と。
それもあって、ホワイトバンドを目にするたびに、その趣旨を思い出すことができるなら、思い出してそれを行動に移すことができるのなら、ホワイトバンドも悪いものじゃないと思うんですよ。たとえホワイトバンドそのものの収益が募金に回らないとしても。
なので、ホワイトバンドを身につけている人が、ホワイトバンド以降、どうしているのかなーと、素朴な疑問を提示してみたのでした。行動しているから良い、行動してないから悪い、なんて、善悪論で分けるつもりもありません。強いて言えば、ホワイトバンドの真の影響力を知りたかっただけです。それを持った各個人に影響力がなかったんなら、やっぱりそれはちょっとムダだったんじゃない?と。そういうことです。
長文告知していたにもかかわらず、ここまで長々とお付き合いくださり、本当にありがとうございました<(_ _)> ペコリ☆彡



