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2009年
07月25日
(土曜日)

見えている世界

※この記事の読了時間は:約 5分57秒です。

自分に見えている世界なんて本当にちっぽけで狭い範囲のものなんですよね。でも、自分にとって見えないものは存在しないのと同じだから、ついつい、見えている範囲の中だけでいろんなことを解釈しちゃうものなんですよ。

そんなわけで本日は「見えている世界」をキーワードに検索、見えている世界に自覚的になると同時に、見えない世界にも思いを馳せているような、そんなテキストをピックアップしてみようかと思います。

雑想ノート vol.4 雑想ノート vol.4

STUDIO ALIMO HOMEPAGEという、油絵画家であるALIMOさんのサイトでした。ALIMOの歩み(works)というコンテンツ内に置かれた「雑想ノート」という短文を日々蓄積するコーナーの4ページ目です。

この短文の視点がどれもこれも独特で、一読、この人の世界観に引き込まれてしまいました。

「見えている世界」というキーワードに引っかかったのは

・ 私が見ている世界がすべてではないけれど、見えている世界が私にとってはすべてのようだ。
  ユートピアに行くこともできず、あの人に会うこともできず、
  私にとっての世界とは何だ?
  世界で生きているとは?
  あまりにもむなしく切ないことではないのか。

という短文だったんですが、茅須の琴線に触れたのは以下の二つの短文のほうでした。

・ 努めなければならないのは、自分を完成することだ。
  試みなければならないのは、山野のあいだに、
  ぽつりぽつりと光っているあのともし火たちと、
  心を通じ合うことだ。

もう一つはこちら。

・ これは鳥かごなんてもんじゃない
  未来に行くのか過去に行くのかは分からない
  ただ夜明けになれば見えてくる
  丘の上に立ちたい
  そのために森を通らなければ
  そのために海を渡らなければ
  でも私はここに何しに来た?

アートのほうの人なのに、言葉の感性の鋭さに思わずはっとしませんか。自宅の狭い部屋でPCを前にしてその放出する熱に汗をかきながらヘロヘロになっていたはずが、ここに置かれた短文たちをじっくり読み進めるうちに、なんだか別世界に連れ去られたような、不思議な感覚に陥ってしまいました。

雑想ノートは現在Vol.8まであります。他のページの短文にも引き込まれるものがたくさんありましたので、いながらにして別世界に誘われたい方たちには、このコーナーを強くお勧めします。

ニアリストの憂鬱: 地図の視点,信頼としての視点の消失 ニアリストの憂鬱: 地図の視点,信頼としての視点の消失

これは面白い考察でした。面白いというか、思わず「あ……」と盲点を突かれて呆然としてしまったというか。

地図を描く、という行為を行うときに、ものすごく最小限のレベルまで情報をそぎ落としているわけですよね。地図どおりに見えている人間は誰もいないと言われればそれはそのとおりで、見えているとおりに再現しても逆に伝わらないわけですよ。見えてるとおりに伝えようとしているのがgooglemapのstreetview機能なんでしょうけど、それとて視点の高さを固定することで、やはり情報をそぎ落としている、と。

ゆえに、情報をそぎ落とした先に、共通点が見出され、共通点を見出してはじめて、伝えたい情報は伝えたい形で伝わるわけで、

どうしてこうもあっさりと自分に見えるままの世界への信頼を捨てられるのだろう

という最後の呟きは、見えるままの世界への信頼よりも、情報を極限にまでそぎ落とすことで伝わる相互理解(という幻想)のほうが、人間にとっては大きな意味を持つという逆説に他ならないんじゃないかと、そんなことを考えさせられたのですよ。

情報を正確に確実に伝えることよりも、伝わりやすく容易に要点を絞って、という方向のほうが、より大事にされるということなんでしょうね。

158cmの平均的世界から | ぽれぽれものろーぐ 158cmの平均的世界から | ぽれぽれものろーぐ

こういう、人の目には留まりにくいけど、自分にとってはすごく共感できたり思わず頷いちゃったりする文章と出会うために、自分はこんな箸にも棒にもかからないブログをずーっと続けてるんだなーと、改めて自分にとってのブログの意義を感じるエントリに出会ってしまいました///ぽっ

ワタシも身長が158cmで、親はそう身長が高いわけでもないけど妹は165cmあって、追い越せ追い抜け妹身長☆目指すは165cm+α!だったんだけど、結局、中学二年生からまったく伸びませんでした……orz

視界に何気なく入ってくるものからは、想像以上に影響を受ける。158cmの私が何気なく感じている感覚は、多くの女性が感じている感覚と同じ。私は常に、平均的な世界にいるのだ

ここから一歩抜け出したくて足掻いたものですが、このエントリにも書かれているとおり、人間には想像力があるんだから、なにも無理して抜け出さなくても、いつも自分が平均的な世界を見ていることを自覚さえしていれば、想像力でそれ以外の世界を感じることができる、と思うようになって、あんまり身長にはこだわらなくなったな、そういえば。

自分に見えている世界は平均的な世界なんだ、と気づくことが、一番大事な部分なんだと思います。

本日のカイテリテリは。 見ている世界、見える世界 本日のカイテリテリは。 見ている世界、見える世界

えらく話があちこちに飛ぶなぁ、と思いながら読み勧めていたら、拡散していたいろんな体験が、最後に一つに収束するんですよ。これはお見事でした。

最後に僕の世界は平和だったよ。という家人の言葉が二度、繰り返されているんですが、その繰り返しがとても印象的。まるで書き手の気付きがこちらにも共有されるようでした。

まさに、人は見たいものを見て、聞きたいものを聞いて、それ以外の事柄をシャットアウトすることで、自分の世界を守っているんだなぁと、感じさせられる話でした。


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