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2009年
09月03日
(木曜日)

日常の中で 

※この記事の読了時間は:約 5分48秒です。

無理やりひねり出したキーワードより、日常の中でふと思いついたキーワードで検索したほうが、面白いテキストをピックアップできるような気がします。

もちろん、今までにピックアップしたテキストはどれもこれも、面白いものとして茅須の琴線に触れたものばかりなわけですが、キーワードによっては、検索サイトで10ページも進まないうちにものすごくたくさんピックアップしたいテキストばかりに当たることがあるかと思えば、ぶっちゃけ、100ページくらい進んでやっと何件か、面白いと思えるテキストをピックアップできる、なんて日もあるわけです。

余談ですが、検索サイト10件表示で100ページまくるのにどれくらいの時間がかかるか、想像できます?(笑) まくるだけじゃなくて、目に付いた気になるテキストを、それぞれ、ざっとでも目を通すんですよ? そういう日は気がついたら3時間とか4時間とか、平気でたってるんですよorz で、そんだけしても自分がピックアップできると感じるテキストが3件くらいしか見つからないこともあるんですよね……( = =) トオイメ

かと思えば、キーワードの当たりがいいと、検索から更新作業全部済ますまで、1時間もかからない日もあるし。まったく、とんでもない道楽もあったものです(苦笑)

そんなわけで本日は「日常の中で」をキーワードに検索、日常の中で見つけた、いろんな事柄について触れられているテキストを、ピックアップしてみようかと思います。

■忙しい日常の中で忘れてしまっていること – 「ことば探し」 – 楽天ブログ(Blog) ■忙しい日常の中で忘れてしまっていること - 「ことば探し」 - 楽天ブログ(Blog)

ある書籍からの一説を引用し、便利になったことで、失われたものもあるのではないか、という、小さな疑問を提示しているエントリでした。

もちろん、思いやりは大事。これは大前提。でも便利になったから思いやりが失われた、という考え方には賛同できかねます。思いやりのある人間は、どんな時代でもどんな状況でも思いやりを発揮しているし、それを持たない人間は、便利じゃなかった時代から、やっぱり思いやりのない行動をとっていたでしょう。例に出されている自動ドアの件一つにしたって、自動ドアが普及していなかった頃から、後続の人間がいようと自分だけが開いたドアを抜けて、相手の目の前でそのドアを閉じてしまうような人間はいたはずです。

時代とか、後の時代に普及した便利なものとかを、思いやりのなさの言い訳に使うのは卑怯じゃないかな。それはいつの時代も各個人の人間性の問題で、その人間性を豊かに育て上げていくのは、各個人それぞれが、自分の中にどういうものの見方の種をまき続けてきたかに依存している、と茅須は思います。

日常生活の中で無造作に凄いことをしている風景:小太郎ぶろぐ 日常生活の中で無造作に凄いことをしている風景:小太郎ぶろぐ

面白動画紹介サイト、小太郎ぶろぐさんのエントリを取り上げるのは久しぶりですねー。

このエントリで紹介されている動画、どうやら海外のCMみたいなんですが、たった一分間の中に、すごい技術がびっしりと詰まっています。

これはいっそ芸術と呼びたい!いや、芸か。中国の雑技団とか、ああいう意味での、極められた芸事。そのレベルですよ。

いいもの見せていただきました。ありがとうございます(^^)

日常の中に非日常を作る: 癒して、心落ち着けて。 日常の中に非日常を作る: 癒して、心落ち着けて。

あー、茅須がネットの向こうに癒しを感じてしまうのは、これが一つの原因かもしれない、と思い当たりました。

仕事が肉体労働なんで、趣味でまで身体を動かすのはそれだけでストレスになる場合があるし。いや、もちろん全部とは言いません、たまにいく神社への散歩とか、神社やその周りの空間が、日常生活からの離脱を促してくれるので、それはそれでストレス発散になったりしますし。

こういう風に、散歩レベルなら身体を動かすことは苦になりませんが、それこそ毎日厨房内を走り回っているので、激しい運動はごめんだと思うわけですvv

肉体労働して帰宅して、お風呂に入って気分を変えて、今度は頭を使うほうに切り替える、これが、日常の中の非日常って感じで、いいバランスになってるのかもしれません。

……あ、これを書いてて思った、もしかしたら、元々趣味がインドアのものばかりだったから、仕事には肉体労働を選んだのかも。自分の心理をこういう風に分析したことなんてなかったけど!Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

無意識のうちに、なんとか生活の中でのバランスをとろうとしていたのかもしれませんね。

日常の疑問の中にはヒントが秘められている+まるちimage 日常の疑問の中にはヒントが秘められている+まるちimage

疑問に思うということは、自分のレベルがそこに達していない状態で、で、その疑問が氷解する時、自分のレベルが一つアップした、と、そういう風に捉えることもできるかもしれないなーと、このエントリを読んでそんなことを考えました。

いずれにせよ、日常のいろんなことを見過ごしていると、疑問すら浮かばないものなんですよね。茅須自身、最近、ちょっとそういう傾向が出てきたなーという自覚があって、これは頭の固い老人に一歩近づいている証左か?!と忸怩たる思いを抱いているんですが、だからこそ、なんにでも疑問を感じてみることが必要だな、と、しみじみ、感じるわけです。

若い頃って、世界中のいろんなものの不条理とか理不尽とかが目に付いて、何故こんなに世の中は混沌としているんだろう、などという疑問に捉われていたし、それは確かに若さの象徴でしかないのかもしれないけれど、その象徴が疑問を感じる好奇心を維持していたのだとしたら、そういう部分の、なんにでも疑問を感じる感性だけは、上手く保ったまま尖らせていたいものです。


Trackbacks (Close):2

trackback from 日常の中に非日常を作る 09-09-04 (金) 7:56

癒しというのが頭の安らぎなら、正反対のことをするといいっていいますよね。 仕事一辺倒で頭を使う仕事なら身体を動かすこと。 身体を動かす仕事なら、頭を使うこ…

trackback from 逆転の発想 09-10-16 (金) 20:11

本日は「逆転の発想」をキーワードに検索、どんな逆転の発想をした人たちがいるのか、あるいはどんな逆転の発想に出会った人たちがいるのかを、探し出してみようかと…

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